休みが続いても寝るか読むか書くかで何も芯のない暮らしになるのであまり良くない。
ごはんも1食とかになるし。
料理がリセットになる、というよしながふみの意見は同意だけども、作ったら誰かとそのおいしさを共有したくなってしまうので虚しいから冷凍した作り置きで数日もってしまうのよ。
「少なくとも文章による自己表現は誰の精神をも解放しない。
もしそのために自己表現を志している方がおられるとしたら、それは止めた方がいい。自己表現は精神を細分化させるだけであり、それはどこにも到達しない。もし何かに到達したような気分になったとすれば、それは錯覚である。
人は書かずにいられないから書くのだ。
書くこと自体には効用もないし、それに付随する救いもない。」
(『回転木馬のデッド・ヒート』村上春樹)
村上春樹の文章について思うところを書いたら長くなるのだけども、
熱すぎもなく冷たすぎもない流水のようにするりと入ってくる。
しかも不快ではないさまざまを含んでいて、透明でありながらあらゆる色を隠している。
ミネラルウォーター…?
夏目漱石が確立したいわゆる日本文学の特長として、
ひとつの無駄な言葉もなければ余計な言葉もない、(と高校のとき習った)素材をぎりぎり最大限いかした薄味料理のような魅力がある
のに対して、
説明装飾の美しさを知ったのが村上春樹の文章だった。生きた記号の強さも知った。
カギカッコや傍点やといったものの無気力な存在感が、主張しない言葉を静かに際立たせるのだ。
うまくいえない。
うまくいえない気分を的確に平易にことばにしてのけるのもものすごい。
「生まれてはじめて小説を書いてはみたもののどう処理すればいいのか自分でもきめかねて混乱している、自分が書こうとした素材と自分が書いた作品とのあいだには大きなギャップがあって、それがいったい作家にとって何を意味するのか自分にはよくわからない。ほんの短い批評なりともいただければそれにまさる喜びはない― と手紙にはあった。趣味の良い便箋と趣味の良い封筒だった。誤字もなかった。そんなわけで僕は彼の小説を読んだ。」
混乱、と意味、の使い方がなんとも言えず良い。
書かずにいられないから書いた文字の羅列は
めもりで細切れにされた時間と同じで、
衣服で分化されるアイデンティティに似ている。
細分化された時間に便宜はあっても意味なんかない。
乙一の例え(ジョジョ作中)に倣うなら、全てがジャンクでできたDNAだ、夜中の日記なんてのは。
「イミナシホーイチ、イミナシホーイチ」
(『頭のうちどころが悪かった熊の話』安東みきえ)
タイトル&ジャケ借り。
人生について考える動物偶話とあったけどもまったく物足りない。
可愛い動物と挿絵と装丁それだけでいいならいいんじゃない?
それだけが必要な日もありますから。
昼間寝る幸せと夜寝る心もとなさについて。
頭部が寒いので布団かぶって寝るのだけども、当然というか息苦しくなって外に顔出そうとしたときに、布団の向こうに待っているのが光か暗かの相違がある。
外に光が待っていると思うから安心して潜っていられる。
電気つけたままこたつで寝ちゃう気持よさも同じだな。
声が届く場所に好きな人がいる安心感に似ている。
笑いかけたらキスが戻ってくるような充実感を夢見る。
おやすみなさい。
『大きな熊が来る前に、おやすみ』
と『おやすみ、怖い夢をみないように』
がかぶる。